SEIKOSEIKO

2022.09.08

自分の棚卸 (1)

ピラティス担当 榎本です。

10年の節目だからというわけではないのですが

この春からいろんなことが動き出したのをきっかけに

自分とスタジオについて棚卸をしなくてはいけないな。

と思うようになりました。

そしてこれから先の10年も 小さなチャレンジを積み重ねていきたい

と思っています。

ピラティスとは関係のないような話かもしれませんが

もしよければお付き合いください。

 

 

 

10年前、手探りで始めたピラティススタジオ。

その当時は今とは違う場所でスタジオを始めました。

そこはたった1年で建物の持ち主が変わることになり

改装費の返済が終わったところでしたが

今の場所に移転をすることにしました。

 

※こちらが10年前に初めて作ったスタジオです。

 

もしかすると「自主練ルームになるのかもしれない」

そんなことも覚悟でオープンしたけれど

1日何人ピラティスしてくれて

月に何人ピラティスしてくれたら

スタジオは潰れない。

の計算はしておりました。

基準はそれまでやっていた仕事でいただいていた金額。

そこを目標にしたのですが、、、。

 

 

スタジオを始める前の生活は というと

毎日大きなカバンを担いで片道1~2時間かけて

お仕事先に行って汗びっしょりになってレッスンをして

レッスンが終わったらパーソナルトレーナー、ピラティスなどをして

効率を考えて1日に1つの場所でなるべくたくさんお仕事がいただけるように

できるカテゴリーを増やして 少し遠くてもレッスンをたくさんさせてくれる

そんなところを選んで仕事をしていました。

帰りは汗でぬれたウエアは行よりもずっと重くて電車に乗り込むと

家に帰ってからのご飯のことや 天気によっては洗濯物は無事だろうか

帰りにスーパーに寄らないととか、子どもから言われてたノートを買って帰らないと

という感じで きっと心の余裕はなかったと思います。

その当時は無我夢中だったので 何も感じていないふりをしていましたが

実際は結構疲弊していたはず。

それが証拠に2~3年に1度 謎の熱が出るようになっていました。

最近になって息子が「それ不明熱っていうらしいよ」と教えてくれました。

それは長い時で1か月も続くのですが、検査をしても原因はわからず

しかも私は仕事を休まなかったんです。

37.5くらいの微妙な熱 動けないこともない。

でもさすがに1か月続くと不安になってきます。

でもその時に病院の先生に「がんだったらどうするの!?」と言われて

意外にも私はこう思いました。

こんな働き方をしてたらがんになっても仕方ないかも

病院を出て家に帰る道中

私、さっき何てことを思ったんだ。自分が死ぬのはかまわない

でも、まだ子どもたちは学生で私がいなくては

生活するのに困るのに。なんて無責任なことを思ったんだろう。

そこではじめて自分の働き方の異常性を認めたというか

考えを変えることができました。

私は人に健康の大切さを伝える仕事をしているのに

自分の身体を少しも大切にしていない人間でした。

まずは自分をもっと大切にしなくてはいけない

本気でそう思った出来事でした。

スタジオを始めてから不明熱はたぶん1回だけあったんじゃないかと

記憶しています。

私の中では「コップの水があふれた時」に現れる警告と受け止めています。

 

それまでもゆくゆくは自分でフィットネスのお仕事で独立をしよう

と夢見ていました。

でもそれは夢であってビジョンはそんなにありませんでした。

もっと家にいる時間を増やしたい。

家族と話をする時間が欲しい。

既に子どもたちは大きくなっていてそんなに親とべったりの歳ではなかった

けれど、私がそうしたいと思っていたわけです。

そして私は運動も大好きだけど、家でゴソゴソと何かを作ったりするのも

大好きでお菓子やパン 簡単な洋裁 草花を育てたり

そんなことも大好きだったことを思い出しました。

そこからは夢を現実にするにはどうするか。

という段階に入りました。

 

そんなラクができて 今までと同じ金額を稼ぐなんて虫が良すぎる

そう思うと「自主練ルーム」になるビジョンも頭をよぎりますよね。