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腰痛だった私。身体の使い方で症状を改善
自分で身体を動かして出来上がる「自分自身の肉体の力強さ」というのは 自身の身体の根元から変化している感覚。 人に治療して改善しても、自分の身体の扱い方が変わっていなければ またすぐ痛みが出てしまい完治ではありませんでした。 その身体の状態になった原因が自分の身体の使い方にあるのなら改善できる可能性は使い方です。
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この記事の執筆
SEIKO(明石のピラティスプラス)
兵庫県明石市のピラススタジオの代表トレーナー。フッイトネス業界25年。ピラティストレーナー及びパーソナルトレーナー歴20年。トレーニングセッション実績25,000件以上。
目次
こんにちは。
ピラティススタジオ Pilates Plus エノモトセイコです。
子どものころから腰痛です
私は小学校の高学年から腰痛がありました。
これを言うと、大抵の人は「えー、子どもなのに腰痛ってあるの?」と言われるのですが、結構深刻に痛かったです。
5年生というと11歳の頃に左の足の親指が付け根のあたりからしびれたようになって触ると痛いような ビリっとして何とも不快なのです。
それでも 泳ぐのも走るのも人より早くて 運動は大得意でした。
時々、腰が痛くてだるくて、腰をトントン叩いてみたりしてはいましたがパワー系の運動をするのに不自由はなく たまに不安になったりはしていましたが子どもなのでほったらかしにしていました。
そこからいつから普段の生活にも支障があるほどの腰痛になったのかはすっかり忘れてしまったのですが、たぶん同じ格好で長時間いるのは苦手で特に体育で体育座りと言われる膝を抱えて地面に座る あの格好は地獄でした。
すぐに腰が固まったようになり痛くてゴソゴソと動き出します。
他にそんな風に動いている子はいなかったと思うので、私だけが痛かったのかもしれません。
でも、あの座り方が腰に悪いというのは今は今となっては一般に知られていて体育座りを廃止にする学校もあるらしいです。
でも、私の腰痛は体育座りが原因ではありません。
これは、この仕事を始めて身体のことや腰痛のことを勉強していって半分はヘルニア もう半分は心因性なのかな?と思っています。
ヘルニアは診断してもらったわけではないのですが

なかなかすごい反り方しています(笑)
この写真を持っていることも、偶然ではなく自分の身体への興味で 負傷したわけでもないのにレントゲンを撮ることができ、しかもコピーにとって自分で持っています。
虚弱な子でした
小学生の私が運動を好きになったきっかけと腰痛が出始めた頃の話です。
物心ついた時から 春と秋には体調が劇的に悪くなって喘息の発作を起こしていました。
小学校に入っても喘息で休むことも多く、学校に行けても体育ができないということはしょっちゅう。
動くと辛いので、体育をしたいという願望もそんなになくて苦しいのを堪えてみんながグラウンドでやっているところを眺めていた記憶があります。
1,2年生の頃はそんな感じで、体育の授業受けていたのかの記憶もそんなにありませんでした。
身体を鍛える
3年生になるころ、大きな転機があって喘息がひどいので 神戸にある大きな病院で診てもらうことになったのです。
そこの病院では、1~2年入院して毎日自分の喘息の原因となっているアレルギー反応を起こすもの 例えばダニとか動物などの抗体を作るためにアレルギーの原因物質を注射で体内に少しずつ入れていくという治療をするということでした。
そうなると、私は小学校を留年することになります。
親は留年を回避するために、私を学校が終わってから神戸まで通わせてその注射を打ちに行くことにしたのです。
週に2回だったと思いますが、家の最寄駅から私鉄電車でJRに乗り換えるところから私はひとりで電車に乗ります。
神戸では父親が待っていてくれて、そこから病院まで行って注射をブスッと刺して帰宅。
1年以上その生活は続きました。
その病院で親が先生に言われたのが「この子は虚弱すぎるから このままでは長生きはできない。もっと身体を鍛えて病気に負けない肉体を作りなさい。」というようなことでした。
親は学校に行き、夏の水泳教室担当の先生にお願いして本来4年生から入ることができる水泳教室に「うちの子は4年生の中に入っても同じくらいの体格があるから紛れ込ませてほしい」とお願いしたようです。
そこから突然、超スパルタ水泳教室に夏休みの1か月間通い前も後ろもわからないほど真っ黒に日焼けして確か75メートル泳げるようになったと思います。
家から学校までの道のりも遠くて 片道40分かかって歩いて行き来しました。
それまで発作を起こして具合が悪くなると、学校からバスで帰れるようにバス代を持たされていた私が夏の間中、往復80分歩いて2時間ほどプールに入る生活をしたら身体は日焼けで真っ黒、しかも元々背が高く華奢な感じではなかったのがはっきりと逆三角形の身体になって 肩幅の大きな真っ黒な子どもになりました。
その時が初めて「運動が私の命を救ってくれたんだな」と感じた時でした。
相変わらず季節の変わり目には喘息の発作を起こして学校を休んだりしていましたが、水泳をしたことで運動がとても楽しくてしかも人より速く泳げることに気づき今まで体育をほとんどしたことがなかったので気づかなかったけれど、3年生からあるスポーツテストの成績がどの種目もちょっといいのです。
「私って運動できるの?」
そう思ったら、今までの分を取り戻したいような気持もあって私はひとりで短距離が早くなりように練習を始めました。
あまり友達と遊ぶのが得意でなかったのもあって走る練習は 自分ひとりでできるし学校の授業でちゃんと成果がわかるので 楽しかったのです。
5年生になると子供会でバレーボールチームに所属しました。
バレーボールは背が高いと有利。
左利きは有利。
力が強いと有利。
そんなわけで、私はバレーボールに向いてる!と自分ひとりで思い込んでいたと思います。
実はそんな甘いものではなくてチームでプレイすることの難しさを理解できないまま2年という月日はあっという間に過ぎ去っていきました。
私のチームは全然強くもなく、大した活躍もせず終了したのですが私はバレーボールは楽しい!と思っていました。
同じ5年生の時です。
クラスから走るのが速い子から2名ずつくらい選ばれて市の陸上競技大会に出場させてもらうようになったのが5年生からでした。
走るのが速い子が集められて じゃんけんで出場種目を勝った子から選んでいきます。
こういうところは小学生です(笑)
5年生の時、じゃんけんの引きがものすごく悪くて走る種目は既に無くなっていて 選手が決まっていない種目が2~3こあるだけでした。
「走り幅跳び」
これ何?こんなのしかないの?
やったこともみたこともない「幅跳び」という競技をすることになった私。
その頃、足の指の付け根がしびれたようになっていることに気づいたと思います。
でもまだ腰痛という症状は出ていませんでした。
陸上競技大会の練習はそんなにハードでもなくて、むしろ、先生の指導も全くなく私ともう一人同級生の女の子が砂場で練習をしていました。
その子はスポーツテストで幅跳びが抜きんでて良い成績で自ら志願して幅跳びを選んだようでした。
そんなサラブレッドと練習しても 自分はじゃんけんで負けて選んだ幅跳びです。
幅跳びが嫌ってわけじゃないけれど、走るのが速い子から選ばれてるなら走りたいと思いませんか?
しかも、練習しても絶対私はその子と同じ距離は跳べてなくて「こりゃダメだ!」って感じでした。
大どんでん返し
陸上競技大会の日、市内の小学生で走り幅跳びを飛ぶ子たちが集められ予選がはじまりました。
何回か跳んで、そこから数名残され、あと3回跳べと言われる中に私もいました。
私くらいの実力でも予選は通過できるのか、、、。
でも、同じ学校のサラブレッドも一緒です。
自分は気楽にいこう。
だいたいファールにならずに歩幅を合わせて飛ぶのも結構大変で、指導者もいなくて自分たちで勝手に練習をしただけの私たちにそんな栄光が待っているはずがありません。
そう思って遠くに目をやると、観覧席はトラック競技がメインで見えるところ私たち走り幅跳びは観覧席から一番遠いところで芝生が敷かれたところに ひとりぽつんと父が腰かけていました。
父が私を見てくれている!
走り幅跳びは誰の目にも触れないほど観覧席から遠いところで行われていて走る競技の歓声ばかりが耳に入ってきていて地味な競技だな~って思っていた私。
でも、父はちゃんと私が見えるところに来てくれていました。
もっとこの競技を楽しもう!そう思えた時でした。
結果私は3位になりました。
サラブレッドは6位以内入賞でした。
彼女はその日、本来の力を出せなかったのかもしれません。
私自身が1番「なんで?」っと納得していませんでしたが学校に帰っても結果は同じでした。
今思うと、バレーボールも走り幅跳びも飛び跳ねる競技です。
バンバン着地して衝撃を受けてそもそも私は反り腰だったと思います。
母親に「はと胸でっちり」と言われていました。
そこにジャンプの着地の衝撃が腰に良くなかったのかもしれません。
そして足の指のしびれもこの頃に感じ始めるわけです。
でも、走り幅跳びは実はその後、またやる時がやってきます。
ダンスにのめりこんで更なる腰痛の世界
腰痛は小学生からあったのですがそれが治療を必要とするほどになったのはおそらく16歳から始めたダンスがきっかけだと思います。
ダンスは人から「姿勢が良くなる」と聞いてその帰りに最寄り駅の駅前にあるダンススタジオに見学に行ってすぐに入会しました。
やってみると、私は運動神経は良かったけれど、とにかく身体が硬くて長く通っている人の中にはモダンバレエをしていた人や宝塚歌劇の試験を受ける人もいるようなダンス教室で、柔軟性はあって当然。
曲がらなければ押さえつける、反らないならば羽交い締め。
それが普通の世界だったような気がします。
私は腰痛の他に股関節を痛めたり、肩が凝ったりで治療院に通いながらレッスンに行っていました。
主に鍼治療を受けることが多かったです。
今も近所に住んでいる当時の友達は、膝を痛めて今の年齢になって古傷が痛むと言っていました。その友達はレッスン中の怪我で膝を負傷してそのままダンスはできなくなったそうです。
私の場合、本当に押さえつけたり 羽交い絞めが柔軟性をあげてくれたのでしょうか?
ダンスを頑張っていたころは開脚も膝を伸ばしてしっかりできるようになってその姿勢で洗濯物を畳んだりしていましたが、もっと穏やかな方法でも柔軟性はアップしたと思うし姿勢もちゃんと良くなっていきましたが、腰痛があったということは理想の姿勢ではなかったのかもしれません。
これは、ダンスを否定しているのではありません。
ダンスは芸術の世界なので、みんなが同じ高さまで脚が上がらなければいけません同じ角度で手を伸ばす必要があります。
その人のペースではいけなかったので、硬い人は柔らかい人と同じことができるように押したり引っ張ったりされていたのです。
22歳で結婚して24歳で子どもを産んで、年子でもうひとりその3年後にもうひとりと5年で3回の出産をしました。
その間、朝起きると布団から起き上がることができなくなっていたり腰が痛くて5人分の食器洗いができなかったりし始めました。
その当時、子育ては完全にワンオペ状態で洗い物は時間をかけて何回かに分けてやりました。
3人目の子を産んだあとは、寝室から階段を歩いて降りることができなくなりました。
お尻をついて座った状態で降りていました。
朝起きると足の裏が痛いのか、おかしな感覚で怖くて床を踏めなかったのです。
その時が、自分の身体の調子の最悪な時だったかもしれません。
身体が思うようにならないと、気持ちも沈み 子どもたちに申し訳ない気持ちで毎日不安と不満ばかりでした。
ベビースイミングが私を元気にしてくれました
きっとその頃の私は妊娠出産で身体の消耗も激しかったと思いますが妊娠中の腰への負担やその後の子育てでの抱っこ家事や育児で自分のケアは全くできていませんでした。
そこから、一番下の子を連れてベビースイミングに通うことにしたのです。
これは、上二人が年子で子育てが忙しすぎてほとんど記憶もないほど余裕がなかったので、最後の子の成長はじっくり観察したいと思ったことからでした。
家から2分でジムに着きます。
私も水着を着て赤ん坊の末っ子とプールに入るうちに身体の不調は不思議なくらい無くなっていきました。
その時「やっぱり身体を動かした方がいいんだな」と納得しました。
日本の慢性腰痛に悩む人は約3,000万人
私のように子どもの頃から腰痛の人は珍しいのかもしれませんが日本では、慢性腰痛に悩む人は非常に多く、全体で約3,000万人が腰痛を経験しています。
そのうち、長期間にわたる慢性腰痛に苦しむ人も少なくありません。
実際、腰痛経験者の約半数が慢性腰痛を抱え続けると言われています。
腰痛の約90%は自然に治癒することも多いですが、残りの10%は慢性的な腰痛に移行することがあります。
このような慢性腰痛は、仕事や生活の質にも大きな影響があります。
事実、私も30年以上腰痛を感じながら生活をしていて運動により改善したり、運動をやりすぎて腰を痛めたりを繰り返しました。
腰痛の歴史だけでも なかなかのボリュームの話になるので機会があるごとに書いていこうかと思いますがここ10年は全く腰痛とは無縁の生活をしています。
ピラティスを始めたのは20年近く前ですが、その当時はフィットネスインストラクター、パーソナルトレーナー、ピラティスインストラクターと結構バラエティに富んだ仕事をしていて自分のスタジオもなかったので、遠くのフィットネスクラブやピラティススタジオに出向いて行って仕事をしていました。
仕事の大半は肉体労働。
いつも移動の電車では乗った瞬間に意識がなくなるくらい毎日疲れていました。
骨盤が動いた!
身体にいいと言われる運動をお仕事にしていながらある日 私自身の腰痛は、致命的な状態になりました。
場所はピラティススタジオです。
レッスンをしている時に「勝手に骨盤が動き出した」感覚です。
私はホームローラーと言われるポールに座って参加者の動作を見ながら動きの指示をしていました。

本当は勝手に骨盤が動いたのではなく、「筋肉が収縮して骨盤が動いた」が正解だと思うのですが、イメージはゴミ収集車に脚が吸い込まれていくような感覚でレッスン中なのにどうしたらいいのかわからず 痛みで脂汗が噴き出すのがわかりました。
結局私は、お客様に自分の異変を悟られないようにレッスンを続行。
次のエクササイズの動作をしてみせました。
心の中で(何とか動けている お客様にはバレてない)と信じてレッスンを最後までやり遂げました。
その日は大阪で夜最後のレッスンを終えてから ホテルに泊まって次の日からピラティスのリフォーマーの養成のレベル2に参加の予定でした。
ホテルに入っても、痛みは変わらずでビジネスホテルの部屋のほとんどがベッドであとは自分ひとりが椅子に座るスペースがやっとあるくらい。
椅子に座ってお尻のストレッチをしてみますが、股関節が思うように動かず痛みであまり眠ることもできずに 養成の会場に行ったことを覚えています。
会場に行って気づいたのですが、私の骨盤は左右の位置がずれてしまっていて仰向けに寝てもバランスが取れず左へ倒れていってしまいます。
養成では先生に「無理に動かなくてもいいですよ。」と言ってもらいましたが、みんなと同じように動いて2日間の養成を終えました。
ただ、その時に腰の痛みでどのように動くのが正解なのかわからなかったエクササイズがいくつかあって、それはその先何年もわからない状態でその後数年にわたり 先生に動きを直されました。
身体にはこんな異変が起こりました
本当は安静にして、ちゃんと治療をすれば治るのも早かったのかもしれません。
でも、私は養成から帰っても 仕事は休まず毎日レッスンをしました。
腰を痛めてから身体のいろんなところに異変が起こります。
まずは慢性的な下痢です。
腰を痛めたことで内臓を支える筋力が使えなくなってしまったようで内臓の重さが辛いのです。
内臓も筋肉で支えられていないことで、消化不良を起こします。
内臓を支える筋力がなくなると、ドンドンお腹のあたりのフォルムが変わってきました。
お腹が出て ずっとお腹を壊しているのに体重が2キロくらいあっという間に増えました。
内臓を支える筋肉の役目の偉大さに感心するとともにフィットネスの仕事のきつさを身に染みて感じることになります。
お客様から体系が変わったことは言われませんでしたが、自分としてはお腹のラインが
明らかに締まりがなくなって それも気になりました。
そして、レッスンの合間や移動の前に 股関節を無理やり押し開かないと股関節が固まって動けなくなりました。
身体のあちこちが痛い、仰向けには相変わらずなれない 体系は崩れる。
この状態が1年経ってもスッキリはしませんでした。
お腹を壊している状態は2か月ほどで改善したのですが、その他は変わりなくしかもその悩みを誰にも相談できず、仕事も休めずにおりました。
仕事にも影響が出始めました
ただ、その頃から新レッスンの研修を受けてレッスンを受け持つことができるかどうかのテストに合格できなくなってきたのです。
しなやかな動きをを求められるレッスンは特に自分でも腰の痛みで(たぶんしなやかじゃないな~)と自覚もありました。
自分の中では、そろそろ無理なのかも、、、。
と思いながらも、フィットネスの仕事を辞めてしまう勇気もなくかと言って、フィットネスで動けなくなったからピラティスをするというのも違うと思っていました。
むしろ、ピラティスの動作もしなやかさとパワフルさと柔軟性と機能と 今の自分が失ってしまったものを必要としたエクササイズだと思うと、とても逃げ道がピラティスなんて 選択はないわけです。
少しずつ追い詰められた気持ちになっていったのですが幸いなことに、私の仕事は合否のある仕事だけではなかったので需要のある仕事をこなしつつ なんとか日々をやり過ごしていました。
そんな時に自分の覚悟が決まる出来事が起きるのです。
人はなぜ腰痛になるのでしょう
よくある腰痛の原因
- 筋肉や靭帯の損傷
急な動きや重い物を持ち上げる際に、筋肉や靭帯が損傷することがあります。これにより腰に痛みを感じることがあります。 - 椎間板ヘルニア
椎間板(背骨の間にあるクッションのような組織)が圧迫されたり、飛び出したりすることで神経が圧迫され、腰痛を引き起こすことがあります。 - 脊柱管狭窄症
加齢による背骨の変形や骨の変化により、脊柱管(脊髄が通る管)が狭くなることで神経が圧迫され、痛みやしびれが生じます。 - 姿勢の悪さ
長時間座り続けることや、姿勢の悪い状態で仕事や作業をすることは、腰に負担をかけ、痛みを引き起こす可能性があります。 - 骨粗鬆症
骨が弱くなり、圧迫骨折が起こると、腰痛を伴うことがあります。特に高齢者に多く見られます。 - ストレスや精神的な要因
精神的なストレスや緊張も、腰の筋肉を緊張させ、痛みを引き起こすことがあります。
その他にも腰痛になる原因はあります。
例えば内臓疾患で腰痛を訴えることもあります。
これらの診断はお医者さんの役目なので是非自己判断せず病院で「病名」をつけてもらって欲しいです。
「病名」がわかれば 治るのにはどんな方法があるのかがわかってきます。
その病名の中に「歳のせいだから」とか「様子を見ましょう」は個人的に要注意だと思っています。
同じ歳の人でもどこも痛くない人もいます。
なら、何故自分は痛いのかの説明がされるはずで、歳のせいは説明になっていません。
「様子を見ましょう」も、何だかごまかされているみたいですよね。
そんな返答は納得できない。でも 最近お客様から聞いた話でもっとすごいのは「もっと痛くなってからもう一度来ましょう」と言われたそうです。
もっと痛くなったら?
「手術」ですか?
自分の身体の責任はどこにある
もちろん、手術をしないといけない状態を「自分で治します。」は無謀かもしれません。
その時は先生を信頼してお任せしたらいいと思うのですが本当にその状態は手術なのか?の判断だったり、まだ自身でやれることがあるのに 自分の身体を人任せにするとか1年も治療院に通って全然完治していない人、いますよね。
自分の身体の責任は基本自分にあると思いましょう。
その身体の状態になった原因が自分の身体の使い方にあるのなら改善できる可能性は使い方です。
現在私は腰痛はありません。
